多度山の麓に鎮座し、正殿に天津彦根命(アマツヒコネノミコト)、別宮一目連神社には天目一箇命(アメノマヒトツノミコト)が祀られています。天津彦根命は、天照大神(アマテラスオオミカミ)の御子神であり、その御子神が天目一箇命です。天目一箇命は、金属工業の祖神であり、民間では片目の竜神で一目竜と呼ばれ、雨乞い・風難除けの神として信仰されています。特に、雨乞いでは東海地方に広くその名が知られており、遠くは奈良・滋賀県まで信仰圏が拡がっていたことが分かっています。
神社創建の歴史を伝える資料はほとんど残されていませんが、神社縁起によれば雄略天皇の御代(5世紀ころ)までさかのぼるとされています。奈良時代には満願禅師によって神宮寺が建立されました。時代は下って天文2(1533)年の「多度山衆僧次第」によれば、神宮寺は寺院数70坊、僧侶300人余りに達する規模をほこっていました。しかし、織田信長の北伊勢侵攻の際に兵火にあい、神社と寺の建物のほとんどを焼失してしまったといわれています。そして、江戸時代に入り、桑名藩主本田忠勝によって神社は再興され現在に至っています。宝物には、重要文化財に指定されている「資本墨書神宮寺伽藍縁起并資財帳」・「金銅五鈷鈴」・「銅鏡」などがあり、5月4・5日の大祭に執り行われる「上げ馬神事」は県の無形民俗文化財に指定されています。
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