東海山泥おん院と号す。 浄土宗。 寛永元年(1624)桑名藩主松平定勝が死去したため、その子の定行が創建。 定行は伊予松山へ移封したが、その弟定綱が桑名藩主を継いだので、松平家の菩提寺として存続。 明治23年(1890)、に本堂改築、内陣は能舞台として使用できるように作られている。 戦災を受けなかったので、落ちついた境内を残している。 墓地には「松平定綱及一統之墓所」があり、藩主ら28基の墓石がある。 うち藩主の定勝・定綱・定儀・定和は遺骸を、定輝・定信・定永は遺髪を納める。 また定綱逝去の際に殉死した樋口助右衛門(智光院)、福本伊織(智徳院)の墓もある。 裏山には国指定天然記念物「金龍桜」があったが、枯死した。 現在は分植した若木が境内で育ち、一重と八重の花が同じ枝で同時に咲く珍種である。 境内には「夫婦マツ」があり、「山門」は創建当時のものである。 松平定信歌碑・宗九歌碑・西村徳右衛門碑・佐藤義一郎碑・佐藤信之助銅像・平岡潤詩碑などがある。 寺宝として「政餘雕玉」、小田野直武筆「日本風景図」、伝楊貴妃所蔵仏舎利などがある。
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