指定文化財区分
市指定文化財 
指定文化財種別
有形文化財 
指定文化財種類
絵画 
指定文化財名称
絹本着色 日本風景図
けんぽんちゃくしょく にほんふうけいず
数量
2幅 
形状
A 120cm×43.6cm B 120cm×43.6cm 
年代
江戸後期 
指定日
昭和50年4月25日 
所有者名
照源寺 
所有者住所
東方1350番地 
管理者名
桑名市博物館 
解説
 絹本着彩/小田野直武筆 安政二年(1773)秋田藩は銅山検分のため江戸から平賀源内(1729-1779)を招いた。
この時、源内は秋田藩主佐竹義敦(号曙山)、角館城代佐竹義躬、藩士小田野直武、田代国忠、荻津勝孝らに油絵を教えたと伝えられる。
源内が江戸に帰ると、曙山(1748-1785)は新しい西洋画の知識を吸収させるため直武(1749-1780)を江戸詰とし、源内の家に寄寓させた。
直武は安永二年(1773)から八年(1779)まで江 戸に滞在し洋風画を学んだ。
この間に直武は『解体新書』の挿絵を描き、曙山は直武の協力で『画法綱領』などの画論を書いている。
こうした秋田藩の活動は「秋田蘭画」と呼ばれ、司馬江漢らの洋風画より早く花開いた。
秋田蘭画は写実を基本とし、陰影法と遠近法を取りいれている。
近景を極端に拡大し遠景を低く配するのは秋田蘭画の基本的構図であるが、中景を欠き空間を十分に表現し得ないのは、東洋的絵画の習性を抜け切れず、和洋折衷の画法にとどまっている。
しかし、前期の洋風画が西洋画の模写にとどまったのに対し、秋田蘭画は大きく前進したといえる。
だが、安永九年(1780)直武が三十二歳で、天明五年(1785)曙山が三十八歳で没すると、秋田蘭画は急速に衰えた。
A 江の島図 江の島は、弁財天を祭る江島神社を中心とする名所(現在の藤沢市)で、江戸町民の遊行の場であった。
この図は、次の金沢八景図と共に、実景をモチーフにして構成しているが、必ずしも江の島や金沢八景を描いたものではない。
B 金沢八景図 金沢八景は現在の横浜市で、鎌倉時代から勝景地として知られ、江戸時代には名所図会や浮世絵にもよく描かれている。
 これら二幅には白文方印「直武之印」の落款があるが、これは秋田県立博物館蔵の「唐太宗・花鳥山水図」(県文、三幅対の内)の落款と同一である。
現在のところ、この印が使用されているのはこの二例のみで、この印には何か特別の意味があるのか、今後の研究課題である。