当寺は元和3年(1617)桑名藩主となった松平隠岐守定勝が、寛永元年(1624)逝去の時、その子定行が菩提のため創建した。 定行はその後、伊予松山へ移封となり、代わって弟定綱が城主となり、以後いくらか転変はあったが桑名へ再び復封した文政6年(1823)から明治まで、松平家の霊廟として永続した。 廟は境内の裏山にあるが、明治期に整備されたようで、定勝公の廟堂はこのときこわされたらしい。 すべて26基、その主なるものは藩祖松平定勝、同室、初
代定綱(定綱を初代とするのは桑名松平越中守家の系図を独立にみたもの)、5代定儀、6代定輝、9代定信(楽翁)、10代定永、11代定和、12代猷室などである。
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