宝興山と号す。 天台宗。 古くは丘陵地帯にあったともいう。 江戸時代は春日神社の別当をつとめ、神宮寺も兼帯する。
また法喜禅悦寺とも桑名談義所とも称した。 多くの寺宝があったが、建物とも戦災で全焼。 平成元年(1989)現本堂再建。
現存する寺宝のうち「喚鐘」は万治2年(1659)桑名鋳物師広瀬家次作。
墓地に「伊藤武左衛門実房(天正11年=1583没、桑名東城主初代)・実倫(慶長8年=1603没、同2代)の墓」、
桑名刀工村正の一族と思われる千子宗入禅定門(承応4年=1655没)の墓、国学者三崎葦牙(明治20年=1887没)の墓、銅鐘などがある。
「銅鐘」は桑名春日神宮寺にあったが、廃仏毀釈の際、明治6年(1873)頃、徳元寺が買取った。
太平洋戦争中に供出されたが、文化財保護のため溶解を免れ、近年徳元寺から当院に移管された。寛永15年(1638)の鋳造で、北勢地方に現存する最古の梵鐘である。また当院は精義小学校創立の地であり、境内に記念碑が立っている。
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