所在地名称
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常音寺 |
所在地住所 |
多度町香取135番地1 |
指定文化財 |
宝暦治水史跡
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解説 |
木曽川三川下流域は、百輪中とよばれるほど多くの輪中が形成され、川の流れは複雑で常に洪水の危険にさらされていました。そのため、江戸時代を通じて治水対策は重要な施策の一つでした。幕府が、薩摩藩に命じて行わせたのが宝暦3(1753)年からの治水工事で、多度には幕府や薩摩の役人の宿泊地がありました。工事は難行を極め、幕府の役人の嫌がらせもあり、薩摩藩士の中からは病で亡くなった人、抗議のために自殺した人が94人も出ました。総監督であった平田靱負も責任をとって自害しました。常音寺には、その内5人の墓があり昭和10(1935)年に建てられた墓碑とともに祀られています。
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