浄土真宗大谷派。 桑名御坊とも称し、俗に「ごぼうさん」と呼ばれる。 織田信長が大坂石山本願寺攻めの時に、本願寺支援のために尾張・美濃・伊勢の浄土真宗の評義所として設けられた。 慶安2年(1649)本統寺の寺号を許される。 寛文5年(1665)焼失し、貞享3年(1686)再建。 宝暦12年(1762)本堂を改築し、八棟造りとし、建坪は219坪あった。 これは富豪山田彦左衛門の寄進であった。 他に書院・広間・茶所・鐘楼・鼓楼・経蔵などがあり、文久3年(1863)将軍徳川家茂が宿泊している。 明治初年には桑名城の櫓を移した聚星閣が出来た。 明治13年(1880)には明治天皇が駐泊された。 明治17年別格別院となる。 戦災のため全建物が焼失。 鐘楼・山門は大阪八尾別院から移した。 貞享元年(1684)に松尾芭蕉が宿泊し、「冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす」の句を詠む。 現在の境内には昭和12年建立の冬牡丹碑、享保16年(1731)建立の青銅製燈籠1対、昭和13年建立の親鸞聖人銅像(広瀬精一寄進)があり、墓地には山田家合葬墓5基がある。
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