西船馬町北側には倉庫が多く俗に蔵前と称した。 東端は東海道七里の渡に面し、船番所と高札場がある。 その西隣にある大塚本陣は桑名宿第一の本陣で、明治元年(1868)には明治天皇の宿泊所ともなった。 また当町の敦賀屋は江戸幕府の美濃・伊勢の御蔵米回送の定差配人を勤めた。 明治10年度統計書(三重県庁蔵)では船馬町海岸には船問屋が9軒ある。 明治維新後、船番所は警察屯所となったが、明治9年の伊勢暴動で放火により焼失し、その跡には西洋館の警察署が新築され、道を隔てた南側には電信分局が建てられた。 大塚本陣の建物は他へ売却され、その跡地に料理屋船津屋建築中の同19年2月27日に、大工小屋から火災となり、付近一帯を焼尽した。 明治16年の家数46、人数164、うち男71・女93。
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