邸宅と同時期に築造された。 当時から残るサルスベリやザクロ、アオギリといった植栽などから、明治・大正期に流行した文人趣味の様式が各所に感じられる。 当初池の水は揖斐川の水を直接引いた「汐入庭園」となっており、川の干満によって池の水位も変化していた。 また当時は出島も滝もなく、そのあたりには池中に石を配置し、その上を渡れるようにした・・が設けられていた。 つまり池の中央に立ち360度の景観を楽しめた。 その後・・はなくなり、出
島が作られた。 また、滝は平成4年の整備工事で新設され、同時に水も循環式に変更された。 一方庭園東側の現在の水源周辺は、創建当時コンドル設計によるバラの円形花壇があり、中央には噴水も設けられていた。 しかし昭和初期の改築により撤去され、そこに居宅や茶室などが建てられたが、それらも戦災により焼失した。 また昭和13年頃には、親交のあった名古屋の茶道家元松尾宗吾を招き、和館北側の内庭をはじめ、大々的な改築を行っている。 このため、
庭園の各所に松尾流の美意識が反映されたつくりがみられる。 このように幾度かの改築や戦災で変化した部分もあるが、全体的には創建当時の姿をよく留めており、その鑑賞上の価値も高いとして、平成13年度の名勝に指定された。
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