煉瓦蔵(煉瓦造二階建桟瓦葺) 394.68u 本邸と同じ頃初代諸戸清六によって建造された。 現在3棟であるが、古写真を見ると5棟連続しているが、昭和20年の戦災によって2棟が失われ、石積みの基壇のみ残っている。 この蔵は米蔵として建造され、各地の小作米は船で運ばれ、蔵前面の外堀から搬入したと言われている。 煉瓦は諸戸清六が特に焼かせたもので、イギリス式の積み方で構成されている。 煉瓦塀 三棟(東辺延長51.5m、東北辺折曲延長82.3m、西辺折曲延長111.7m) 御殿と同じ頃初代諸戸清六によって建造されたもので、基壇は石積み、上部は煉瓦の塀を成している。 溝渠は、通常賊から屋敷を守るために築かれるもので、溝渠が外で塀が屋敷側というのが一般的である。 しかし、清六の発想は反対で、溝渠の外側に塀が設けてある。 石造溝渠(折曲延長116.2m) この溝渠について、大隈重信は次のように述べている。 「まず、強盗を防ぐ方法として見上ぐる許りの高塀を築いてあるが、濠は世間並と違って塀の外に掘らず、塀の内側に掘ってあって、それに河水を湛えて木材を漬けて置く。 是だけではまだ不経済だというので、更に之を養魚場に充てている。 そして、その魚を料理して、月の6回台所内に設けてある大食卓の上で奉公人に馳走するという趣向だ」 三重県指定名勝の庭園には、この溝渠から水を引き込み、潮入りの庭園を構成している。 現在煉瓦塀は、六華苑との間の一部が崩れているが、西側と東側とは旧状を保っている。
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