紙本墨書・袋綴/東里翠山筆 東里翠山(1786-1867)は桑名藩重臣吉村宣浚の号で、翠関、翠隠等とも号した。 翠山は昌平校に学び藩の執政となったが、文化の頃隠退して風流を楽しんだ。 これは、翠山が見聞したこと等を記したもので、藩政、藩主の事跡、郷土誌、典籍、漢籍、神道、仏典、兵学、民俗、芸能、本草、音曲、書画など広い範囲を対象としている。 第一冊は文政七年(1824)、第二冊は文政九年(1826)、第三冊は文政十一年(1828)、第四
冊は天保二年(1831)、、第五冊は天保五年(1834)、第六冊第七冊は天保九年(1838)、第八冊は天保十年(1839)、第十一冊は天保十二年(1841)、第十二冊は弘化二年(1845)の紀年があり、第九冊十冊十三冊十四冊は奥書きが無いので成立年は不明である。 また、各冊に「写来手自校」「桑名東里翠山家蔵」の朱方印がある。
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