自然石の扇面型のものに、左右1対の足の裏を陰刻し、輻輪相図が、各指には卍が刻まれている。 仏足石は釈尊が入滅の時、石上に印せられた足跡であるとのインドの伝説から、仏教徒の間では、釈尊の像が出現する以前まで、これを礼拝の対象とした。 日本では奈良薬師寺の仏足石が最も古く国宝指定になっている。 走井山勧学寺のは、石も安山岩で彫刻が極めて精細巧妙にできていて、少し傾斜をもった立碑の展示もよい。 戦前までは台上に水平に置かれて、腰かけ
石になっていた。 寺では輻輪相図の版画を配布していたこともあったが、版木も失われてなくなった。 神戸市の森貞雄氏の調査によると、京都大行寺との間に密接な関係があることが分かり、勧学寺の仏足石(銘文なし)は江戸末期天保〜安政頃の造顕であることは殆んど間違いないと指適された。 しかも、この輻輪相図から仏足石の分類上、勧学寺様式と称することが適切であろうということである。
|