指定文化財区分
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国重要文化財 |
指定文化財種別 |
有形文化財 |
指定文化財種類 |
書跡 |
指定文化財名称 |
紙本墨書 勧進状 附 絹本着色忍性上人像 絹本着色 額田部実澄像
しほんぼくしょ かんじんじょう つけたり けんぽんちゃくしょく にんしょうしょうにんぞう けんぽんちゃくしょく ぬかたべのさねずみぞう |
数量 |
1巻2幅 |
形状 |
A 勧進状:23.9cm×249.3cm 紙本墨書 B 忍性上人像:128.7cm×59.3cm 絹本着彩 C 額田部実澄像:93ccm×34.8cm 絹本着彩 |
年代 |
室町時代 勧進状:文亀元年7月(1501) |
指定日 |
大正2年4月14日 |
所有者名 |
大福田寺 |
所有者住所 |
東方1426番地 |
管理者名 |
奈良国立博物館 |
解説 |
A 大福田寺住職叡X(生没年不詳)の依頼によって三条西実隆(1455-1537)が浄書した勧進状で、大福田寺の由来が詳しく記されている。 これによると、後宇多天皇の頃(在位1274-1287)に創建され、当時は福田寺と呼ばれていたが、足利尊氏によって大の字が加えられ大福田寺と称するようになった。 明応九年(1500)賊によって放火され、伽藍寺宝等が灰燼と帰したため叡Xが再建をはじめたものである。 勧進状の文末に「文亀元年(1501)七月日
」の銘があり、また、大福田寺の本尊阿弥陀如来立像の胎内墨書銘に「本願叡X木食 文亀三癸亥年 十一月二日」とあり、再建がなされたことを示す。 勧進状を清書した三条西実隆は、後花園・後土御門・後柏原三天皇に仕え、歌人・能筆家として知られた。 長文のため文頭と文末のみ記す。 依本願X上人所望/令清書者也/亞槐拾遺臣(落款) 勧進沙門叡X敬白/請特蒙十万檀越御助成造/立勢州桑名郡神戸郷大福田寺/并本尊祈天下泰平國土豊/饒 朝儀安全諸民快樂
之状/(中略)/伏乞十万諸檀令此願望勠/力佛像成就堂塔落成現世者須/達月蓋并闥子孫繁昌而齢保万/萬歳當来者観音勢至同臺自/受法樂而命窮兆々劫何有疑哉/仍勧進之旨趣大都以如斬敬白 文龜元年七月日 勧進沙門叡X敬白 B 忍性(1217-1303)は、二十四歳の時、西大寺の叡尊に師事して受戒し、建長四年(1252)関東に下り、執権北条氏の帰依を受けて極楽寺の開基となった。 忍性は貧民救済、道路・橋梁の構築など社会事業に尽力し、極楽寺の古図にも、
寺院本来の伽藍の他療病院、癩宿、薬湯室などが描かれ、慈善救済が行われていたことを示している。 大福田寺勧進状には「夫以此寺者後宇多院御宇額/田部實澄於太神宮依神託受/戒忍性菩薩共所草創之也」とあり、大福田寺の創建に力を貸したことが記されているが、大福田寺と忍性の関係は明らかではない。 前述の胎内銘に「開山忍性菩薩」とあり、また、極楽寺文書に明応二年(1391)に大福田寺が西大寺末寺とあるところから、忍性の師叡尊を介して何らかの関係があったと推定
される。 自画像は、法衣の上に袈裟をかけ曲ろくに坐し、その前面に卓を配するという頂相としては珍しい構図となっている。 C 実澄の生没年や出自は明らかではない。 伊勢には額田の地名は無く、桑名の古図には神戸及び額田(現存)の地名があり、桑名は古くから伊勢神宮領であったところから、額田部実澄は桑名地方の豪族であると推定される。
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