墓地主要面積60u、海蔵寺墓地の西に隣りし、入口正面傍に宝暦治水碑その他がある。 墓所は、中央に総奉行平田靭負(ゆきえ)の五輪塔(高元院殿節岑了操大居士墓)、その両側に10基宛、計21基がある。 内14基は元から同寺に存し、7基は末寺安竜院(堤原)より移した。 但し、別に1基(青岳徹霜居士)あったのが現在失くなったという。 以上の21名は全部割腹自刃の士である。 宝暦年間(1752〜1754)木曽三大川の治水工事に際し、御
手伝普請に当たった薩摩藩が、難工事を臆せず、七転八起の勇猛心をもって、短日月の間に所期の目的を果したが、その間80余名の犠牲と予算を超えた莫大な借財の責任のため、総奉行平田靱負もまた自刃するに至った。 これら義士の墓所は岐阜、三重県下14ヶ寺に埋葬されている。 桑名市内には他に長寿院(3基)、長禅寺(1基)がある、また海蔵寺には戦災前には忠魂堂があり、木像平田靭負像が祀られていた。
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