円妙寺墓地は東方字寺屋敷にあり、山陽町の円妙寺前の坂道を上った桑名高校横の山がそれである。 また霊廟は墓地の奥(北隅)に東面し、石廟造りで、正面4mの光徳院殿が松平定良公、その後方右から一安院は殉死堀田一可、法性院は殉死多賀道次、蓮心院は殉死長瀬政直で計4基、養仙院殿墓は墓地よりやや斜面を下がった東側に独立している。 相当この霊廟は荒廃して石垣は崩れ、樹木雑草に蔽われ、付近には藩侯関係の墓数基が点在している。 松平定良(1632〜165
7)は定綱の2男、6代桑名藩主、摂津守、明暦3年(1657)7月18日26歳で病没。 日蓮宗を病の加治祈祷で信仰したので、松平家の菩提寺照源寺とは別に、円妙寺が創建され葬った。 法名光徳院円妙日法大居士。 養仙院(〜1683)は7代定重の母、京極高広の女、天和3年11月16日死去、法名養仙院了栄妙護日立。 円妙院はもともとこの墓地の東北あたりにあったので、現在の円妙寺のところには松平下総守時代(7代113年間)菩提寺天祥寺があった
ところである。
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