指定文化財区分
市指定文化財 
指定文化財種別
記念物 
指定文化財種類
史跡 
指定文化財名称
水谷九左衛門光勝墓
みずたにくざえもんみつかつはか
数量
3基 
形状
総高128cm(光勝) 
年代
江戸時代 元和4年(1618)7月 
指定日
昭和41年11月22日 
所有者名
顕本寺 
所有者住所
萱町74番地 
管理者名
顕本寺 
解説
 3基並立しているなかで、向かって右端が水谷光勝の墓、五輪塔で空、風、火、水、地輪の各4面に「南無妙法蓮華経」、地輪中央に「昌慶位」、その両側に「真如院逆修元和四暦戌午七月吉日」(1618)とあり、中央は同形で光勝の妻、地輪には光勝墓と同じく「妙寿位」、「安立院逆修元和四暦戌午七月吉日」とある。
逆修とは生前建立の墓で、実際の没年は光勝は寛永7年(1630)12月12日、妻は寛永8年8月8日である。
向かって左端の浄智院澄月一栄位(寛永5年7月18日) は当寺過去帳に「古帳損□之故不分明」となっている。
水谷九左衛門光勝の出自(生地)については詳伝が伝わらぬので残念であるが、推測すれば伊勢塩浜あたりであろう。
徳川家康最大の難とされる伊賀越え(本能寺変の時)の折、伊勢から三河への渡海に案内をしたのが光勝で、その後四日市代官、名古屋城築の作業奉行、山田奉行などを歴任した。
春日神社文書(桑名神社、中臣神社)にも光勝在判の朱印状が残っている。
器量人に勝れた人物であったことは窺われるが 、寛永7年12月讒(ざん)に遭って卒した。
詳細は不明、なお当寺の修築再興にも力を致している。
現存する当時の墓碑の内で、最も古い墓である。