指定文化財区分
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| 市指定文化財 |
| 指定文化財種別 |
| 記念物 |
| 指定文化財種類 |
| 史跡 |
| 指定文化財名称 |
吉村又右衛門宣充墓
よしむらまたうえもんのぶみつはか |
| 数量 |
| 1基 |
| 形状 |
| 総高200cm |
| 年代 |
| 江戸時代 慶安3年(1650) |
| 指定日 |
| 昭和41年11月22日 |
| 所有者名 |
| 顕本寺 |
| 所有者住所 |
| 萱町74番地 |
| 管理者名 |
| 顕本寺 |
| 解説 |
3段、表面に刻まれた文字は浅く、風化して読み難くなっているが、中央に「南無妙法蓮華経真如院殿性白日明高霊大居士」、両側に「慶安三庚寅暦四月二十七日吉村又右衛門宣充」(1650) 吉村又右衛門(1576〜1650)は天正4年砥堀孫太夫の子として生まれ、14歳から尾張清洲で福島正則の小姓となり、朝鮮役、関ヶ原合戦で抜群の勇名を挙げたが、福島氏失脚後は浪人となった。 姫路城主本多忠政(もと桑名城主)は一旦彼を召抱えたが、食禄のことで閉門となり、春
日局の計らいで桑名城主松平定綱侯に一万石で聘せられた。 以来桑名松平家の重臣として、代々吉村家は忠誠を尽くした。
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