指定文化財区分
県指定文化財 
指定文化財種別
有形文化財 
指定文化財種類
建造物 
指定文化財名称
銅鳥居
どうとりい
数量
1基 
形状
高さ6m90cm、笠木長さ8m10cm、柱の回り57.5cm、貫長さ4m12cm、額束(ぬかずか)59cm×39.4cm 
年代
江戸時代 
指定日
昭和40年12月9日 
所有者名
桑名・中臣神社 
所有者住所
本町46番地 
管理者名
桑名・中臣神社 
解説
 春日神社というのは俗称で、桑名神社・中臣神社が正しい社名である。
但し世俗に永年親しまれた愛称でもあって、急に正しい社名を持ち出すにも及ぶまい。
石取祭も同様であろう。
また所在地は神社から正面25m(このところを通称広小路という)T字路の交点にあって、片町に面している。片町は昔の東海道筋でこの鳥居周辺は昭和初め頃まで桑名の賑やかな盛場であった。
ここに初めて鳥居が建立されたのは、慶長7年(1602)12月13日、時の城主 本多忠勝公の寄進であるが、木造であって、これは51年後(承応2年6月5日)の大風で倒壊してしまった。
その後13年たって、藩主松平定重侯が日本随一の青銅鳥居の創建を企画し、神社修理料の積立金を基本に(慶長金250両と云う)鋳物師辻内善右衛門尉藤原種次に命じた。種次はこの大事業に精根を注ぎ、家産を傾けて見事に成就せしめたのがこの鳥居である。寛文7年(1667)完成。
様式台輪鳥居、青銅造り、沓石八稜、両柱間隔4m70cm。
島木及び貫に花輪違いの模様重ね、貫 には上り藤紋10(表裏)両柱の上部に上り藤紋4(表裏)を陽鋳。
銘文は左右柱の表に「華表巍巍 惟直惟圜 神威可畏 保定萬年」裏に「寛文第七祀八月穀旦」。
銘の作者は幽巌(儒著味岡喜太夫)、筆者は伯宝(常信寺4代住職)、治工辻内善右衛門種次である。
この鳥居は寛永年間に建立された日光二荒山神社の青銅鳥居に酷似している(香取秀真氏)が、製作意匠は桑名の方が優秀(伊東富太郎氏)であるという。
なお、この鳥居は天災のため次の如く災厄にあった が、その都度代々の鋳匠辻内家によって修復されて今日に至っている。
 1.元文5年(1740)大雨のため倒壊 寛延元年(1748)松平忠刻侯再建
 2.明治29年暴風雨のため倒壊 明治32年再建
 3.昭和20年戦災のため火災で黒こげとなる
 4.昭和34年伊勢湾台風のため倒壊
 5.昭和35年当代辻内善平翁(9代)同恒夫(10代)両氏によって8月4日修復 落慶