桑名藩御米蔵算用係渡部平太夫政通(1784-1848)と、その養子で桑名藩領柏崎へ赴任した勝之助政醇(1802-1864)の間で交わされた日記『桑名日記』『柏崎日記』(県文)があるが、日記の内容は、日常生活がほとんどで、勝之助が桑名に残した鐐之助のことや、柏崎で生まれた次男真吾達の様子をこまごまと記し、当時の生活を知る貴重な資料である。 この一連の文書は、『桑名日記』『柏崎日記』に関連した資料である。 A 旅日記 一冊/紙本墨書/天保十年(1
839)/15.8cm×12cm/渡部政醇筆 渡部勝之助政醇は柏崎陣屋詰を命じられ、天保十年(1839)三月赴任するが、この時は妻きくが身重であったため単身で赴く。 この日記は、きくと生まれた娘おろくを連れて柏崎に戻る時の道中記である。 B 手扣 一冊/紙本墨書/19cm×14.5cm/渡部政醇筆 勝之助は、柏崎に設けられた学問所益習堂の句読指南(責任者)を命じられ、藩士や子弟の教育にあたった。 この手扣は、講師の身分や任免、日課、入学、表彰、異動などを
詳細に記したメモで、天保十年(1839)三月から天保十三年(1842)までの事項である。 C 御流儀火術覚書 一冊/紙本墨書/弘化三年(1846)/15.3cm×8.2cm/渡部政醇筆 勝之助が火術の免許皆伝を受けた時、免許皆伝書を書写したもので、最後に勝之助の花押がある。 D 柏崎御武器調 一冊/嘉永三年(1850)/16.4cm×12.7cm 異国船の出没により、海岸防備を厳重にするように命じられ、桑名から柏崎へ馬廻り役の藩士が派遣されたり、武器の点検が行
われたりするが、これはその時使用された台帳の一つであろう。 筆者は不明。 E 鎮国公百五拾年祭記 一冊/紙本墨書/17cm×12.3cm/渡部政通筆 鎮国公は、松平定綱(1592-1651、桑名藩5代藩主)の諡である。 寛政十二年(1800)鎮国公の百五十回忌に白川城書院において藩主松平定信より振舞いがあるが、その時の事情及び序列等を記したものを、平太夫が書写したもの。 F 藩制一冊附藩政廳一葉 a 藩制 紙本墨書/明治三年(187
0)/19.2cm×13.9cm/渡部政敏筆 政敏は勝之助政醇の次男である。 明治三年(1870)十二月二十一日、桑名藩庁の行政改革で行政組織を記載したものである。 b 藩政廰 紙本墨書/40.2cm×27.3cm 桑名藩庁の行政組織を表示したものである。 G 渡部政醇遺墨 五葉/江戸時代/渡部政醇筆 勝之助が試に応じて書したもので、文政十年(1827)の紀年のあるもの、論語講義等がある。 H 柏崎町絵図 一葉/紙本着彩/29.4cm×39.5cm 「越
後國苅羽郡柏崎町繪圖」とあり、北国海道添いに陣屋が置かれている様子が描かれている。 紀年はないが、江戸末期と思われる。
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