蓮花座、舟形光背にしている小像、ヒノキ材、一木造、当初は檀像様の木地仕上げに多少彩色があったようにも思われるが確かではない。 造立は藤原初期に見え、全面肌荒れのため、衣文線が崩れて明確でないが、密教系藤原中期の作と推定してよいとされている。 左手に蓮花を持ち、右手をあげ胸前にて施無畏手(せむいしゅ)の印相を結印し、面相はものやわらかな微笑を含む出来である。 肩にかかる天衣や正面の裙衣の太い陰影、背面の簡略した彫刻に小像らしさが見られる。
復原した蓮華座に立て、一枚板の舟形光背を背景にして見ると、本来の具わった時代の調子が浮かび出る。 聖観音とは化身(観音は33に化身する)しない本来の姿を言い、檀像小像は天台宗寺院においては本尊に次ぐ重要な仏像として、平安前期以来優秀小像が作られて残っている。 本像もたしかにその1躯である。 安渡寺は古来、天台宗末寺の「星川の観音さん」として知られていたが、それを裏付ける史料として、四日市市富田町善教寺の重要文化財阿弥陀如来胎内文書
、藤原実重の「作善日誌」があり、同日誌の初めに「貞応2年(1223)ほしかわの御堂葺くに銭百結縁す」「嘉禄2年(1226)10月ほしかわの湯釜に銭百結縁す。 心経2800巻よみ参らす」などが見られ、鎌倉前期に観音堂があり、在所においても湯を沸かして施行されたことが判る。
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