本体は垂髪、天冠台、地髪マバラ彫、耳朶環なし、両耳に各巻髪一条、化仏付植、三道条帛、裳二段折返し、脇手は42臂を含めて千手の形をなし、両足を揃えて直立する。 台座は仮の方座。 品質は樟材、一木造、素地、彫眼、体部は髻(けい)より両足柄(ほぞ)まで含めて一木彫成にし、背板はヒノキ材上下2段に矧(はぎ)付、内刳(うちぐり)をしている。 両肩及び脇手は凡てヒノキ材。 尊像は北勢随一の秘仏とし知られていたが、保存状態が悪く、虫食い、鼠害を
甚だしく被むり、腐食亡失もその極に達していたので、昭和39年京都国立博物館内美術院国宝修理所に於て、解体修理し、その復元を見るに至った。 修理費602,000円。 真言宗走井山勧学寺のあるところは室町時代矢田城のあったところで、伝えによると城主矢田市郎左衛門は観音を信仰し、城北に祀ったことがあるが、これは西方(にしがた)の海善寺が当時廃寺となり、ここの本尊千手観音を移したものと推考される。 勧学寺はそれより後、元和年中に山麓から山上に移さ
れて、廃城にあった本尊を改めて祀ったものであろう。
|