太夫町は桑名駅の西方1.4kmばかり離れた丘陵上にある小集落をいう。 古い長屋門を残した元禄頃からの民家もあり、注連を飾った家々もあって、一見して他の集落とは異った別天地のようでもあり、また孤立感を匂わせるところである。 中央部辺りに太いクスノキの大樹、その東に伊勢神宮遥拝所の碑(文政9)と小祠がある。 現在の増田神社(講社)ができるまでは、この遥拝所の広場で、例年一度12月24日の公開奉納神楽が催された。 この大神楽の起源は明
白ではない。 この丘陵の麓に、式内社立坂神社(開発のため廃址の崖も半分なくなる)の神楽として発祥したものが、何時か独立発展して職業化したものであろうとされている。 もと太夫村時代には、この神楽職の外に、愛知県津島神社、あるいは伊勢神宮の配札を専門とする御師職が多数あったという。 現在講社を組織する組は6組(桑名)と松阪市にある3組(四日市阿倉川の大神楽系)の計9組である。 1組の構成は4名から10名、舞手3、放下師2、道化2、笛大鼓
、銅拍子、ささら、長持曳き、後舞など。 旅先は明らかに定められ、近江から北陸、畿内、中国、四国を回檀して12月20日頃帰り、24日は獅子頭を祀る増田神社に大神楽全曲を奉納して公開し、また新春の旅に出発する。 舞曲の種類は次のとおり。 1.神事舞<鈴の舞、四方の舞、扇の舞、跳びの舞、ささの舞> 2.放下古曲<手まりの曲、剣三番叟、水の曲、皿の曲、綾取りの曲、傘の曲、献灯の曲> 3.放下新曲<玉獅子の曲、魁曲> 4.
固有の神楽舞<吉野舞、剣の舞、神来舞> 以上17曲で、なかでも神来舞(しぐるま)は古曲で、1年の祓をするように笛は1月から12月まで、音色も舞いも踏む足も(365足)移り変り、圧縮され洗練された、格調荘厳な芸術的な芸を展開する。
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