古萬古の創始者である沼波弄山(1718〜1777)は、桑名船馬町に邸宅を持ち、江戸に店を構える商人であった。 本名を五左衛門という。 弄山は、茶道を学び、京都の尾形乾山に陶法を学び、桑名藩領内小向村(現在の三重郡朝日町小向)に窯を造り、萬古焼を始めた。 宝暦の頃には江戸へ移り、小梅に窯を造り、将軍家の御用を命じられるようになった。 「萬古」は、「萬古不易」(いつまでも変わらない)から名付けられ、弄山のものを「古萬古」、江戸へ出
てからのものを「江戸萬古」と呼ぶ。 また、弄山の没後、小梅窯を継いだ弄山の番頭、安達新兵衛のものも「古萬古」に含む。 水盤は、盆石又は生花等に用いる器である。 器の周縁に配された文様は中国風で円窓の中に唐子人物、山水青海波等を描く方法は弄山が好んで用いたものである。 底の印は「萬古」の凸印である。
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