指定文化財区分
県指定文化財 
指定文化財種別
記念物 
指定文化財種類
史跡 
指定文化財名称
沼波弄山墓付沼波家墓所
ぬなみろうざんはか つけたり ぬなみけぼしょ
数量
3基 
形状
 
年代
江戸時代 
指定日
昭和12年10月13日 
所有者名
光徳寺 
所有者住所
新町56番地 
管理者名
光徳寺 
解説
 沼波弄山(ぬなみろうざん)は桑名の裕福な商人、沼波五左衛門重長(1718-1777)で弄山と号し、幼少から覚々斎原叟(千家6代)や千如心斎(千家7代)に茶道を学び、長ずると桑名外れの小向(おぶけ)に窯を開いた。
万古焼の始祖である。
江戸に出店を持つところから、小梅にも開窯し、将軍家の御数寄屋道具御用命という事情があったという。
作風は温雅で、これに新工夫のデザイン、和蘭、交趾(こうち)風の舶来趣味を巧みに加え、数寄者間の好評を博した。
江戸万古、または古万古と後世称するものはこれである。
しかしながら、弄山は後継者なく、創始一代きりで絶たれたようであったが、のち瑞牙、あるいは後代になって、射和(いざわ)万古、有節万古、安東焼などを啓発せしめた。
墓は本堂横に高く築かれ、弄山墓には法名西誉方岸道一善士、それに並んで妻法名一誉心月映春善女が刻まれている。
安永6年(1777)9月13日60歳にて没し、妻は射和万古の創始竹川竹斎の曽祖父竹川政栄の女、寛政12年(180 0)9月13日に没している。