正面「森陳明之墓」(松平定敬書)、三面に墓銘あり(明治八年十月高松徳重撰、江間政発書)。 この墓を建てた若槻陳義は森陳明の長男、父姓森氏を避け若槻氏に復した。 十念寺門前には仰忠会による「桑名義士森陳明翁墓所」(昭和8年)碑がある。 戦後墓地を横断する道路ができたため、この墓地は道を隔てた一角になり、また昭和44年築土し施工されて、森家の墓所にまとめられた。 桑名藩士森陳明(つらあき)は、松平定敬侯京都所司代に在職中、公用人として
公を助け、勤王佐幕のことに心を砕き、戊辰戦争当時は、公に従って函館に立て籠ったが、敗れてのち、朝廷は桑名藩より反逆の主謀者を出だせと命じた時、陳明進んで全藩に代わって出頭し、明治2年11月13日東京深川藩邸で死に就いた。 年44歳、法号智勇院清挙忠誠義剣居士。 九華公園には、別に殉難旌節の「精忠苦節」の碑がある。
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