近鉄益生(ますお)駅裏にある。 塚への曲がり角に標石「有王塚」があり、裏に「哀弧忠零落僅修荒墳 大正7年夏 昌忠」とある。 ここから南20mばかりのところに、石垣で囲まれて塚がある。 石造の小祠、正面に句碑「塚になけわが泣くあとを友千鳥 句仏」、裏に「有王者俊寛侍者也 少尋師絶島事生収骨行脚没 桑名里人塚之此是也 大正十四年十二月十二日」、前者は天春静堂(俳人)、後者は大谷句仏。 何れも俳人静堂氏が、この塚の荒廃を惜しんで修築し、
静堂をめぐる桑名の俳人たちによって句碑を建て、また有王講という保存会を創った。 思うにこれは平家物語に登場する俊寛僧都の関連するものであるが、平家物語に有王という侍童は述べられていない。 潤色されて有王が登場するのは後代の俗書である。 この地には往昔りん崇寺があって、また付近に塚が多く、後年りん崇寺によって有王伝説が流布されたようである。 即ち俊寛の侍童有王丸が、流罪中の俊寛を鬼界ヵ島に訪ね、師の骨を抱いて高野に収めるために行脚中
、りん崇寺門前で生き倒れたというのである。 この種の伝説は所々に残っていて、高野聖(ひじり)の宣伝によったものとされている。 いずれにしても民俗信仰の古い資料として指定となった。 俊寛塚は西南方近鉄線の近くにある。
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