指定文化財区分
市指定文化財 
指定文化財種別
民俗文化財 
指定文化財種類
有形民俗文化財 
指定文化財名称
有王塚 付 俊寛塚
ありおうづか つけたり しゅんかんづか
数量
2基 
形状
 
年代
大正7年(1918) 
指定日
昭和40年11月24日 
所有者名
 
所有者住所
 
管理者名
 
解説
 近鉄益生(ますお)駅裏に、石垣に囲まれて塚がある。
石造の小祠、正面に句碑「塚になけわが泣くあとを友千鳥 句仏」、裏に「有王者俊寛侍者也 少尋師絶島事生収骨行脚没 桑名里人塚之此是也 大正十四年十二月十二日」、前者は天春静堂(俳人)、後者は大谷句仏。
何れも俳人静堂氏が、この塚の荒廃を惜しんで修築し、 静堂をめぐる桑名の俳人たちによって句碑を建て、また有王講という保存会を創った。
思うにこれは平家物語に登場する俊寛僧都の関連するものであるが、平家物語に有王という侍童は述べられていない。
潤色されて有王が登場するのは後代の俗書である。
この地には往昔䑳崇(りんそう)寺があって、また付近に塚が多く、後年䑳崇寺によって有王伝説が流布されたようである。
即ち俊寛の侍童有王丸が、流罪中の俊寛を鬼界ヵ島に訪ね、師の骨を抱いて高野に収めるために行脚中 、䑳崇寺門前で生き倒れたというのである。
この種の伝説は所々に残っていて、高野聖(ひじり)の宣伝によったものとされている。
いずれにしても民俗信仰の古い資料として指定となった。
これより南東近鉄線の近くに俊寛塚がある。